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忠勇戦死の墓(首塚)

ひたちなか市鶴代という場所を車で通りかかったら、「首塚」と書かれた表示板があるのが気になりちょっと寄り道する気になりました。
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市の指定史跡で、”首塚”という文字の下には”忠勇戦死之墓”と添えられています。
ここがひたちなか市、しかも旧那珂湊地区ということですぐに幕末の混乱期にあった那珂湊の大反乱=「元治甲子の乱」(世に言う天狗党の乱)の関係史跡だと分かりました。
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昭和46年に市の指定史跡に認定。

幕末の元治元年(1864年),水戸藩の内部抗争が起こりました。尊皇攘夷派(天狗党)と左幕派(諸生党)の戦い・・・「元治甲子の乱」と呼ばれる戦が8月~10月の3ヶ月もの間繰り広げられ、ここ・那珂湊地区も激戦地となりました。特に10月の部田野原一帯の争いは激烈なものとなりおびただしい数の兵士が命を落としたそうです
部田野原での戦死者を地元の人達が手厚く葬り供養したのがこの首塚だそうです。
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名もなき兵士の遺体もたくさんあったに違いありません
石碑は慶応2年に十三奉行に住む人達が、兵士たちを弔うために建てたそうです。
戦で争った敵味方同士も、死んでしまえばもはや敵も味方もありません。
戦で命を落とした兵士たちをこうして平等に供養している点に、地域の人達の温かさを感じます
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卒塔婆が新しそうなので、つい最近も誰かが供養したみたいですね。

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今でこそ、平和でのんびりとした海辺の町=旧那珂湊地区ですがおよそ150年前に激戦があり、無数の血が流された歴史があったことを私達は決して忘れてはいけないと思います。

忠勇戦士の墓(首塚)地図
所在地:ひたちなか市鶴代(つるしろ)2341-1(首塚史跡保存会)
那珂湊駅から徒歩約25分


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