日立大煙突物語

こちら↓2ヶ月前に発行された7月号の広報ひたちの表紙です。
IMG_20140910_221805.jpg
表紙に使われてる写真こそ、在りし日の日立大煙突の姿。
この大煙突が建設され、今年で丁度100年となるそうです

で・・・こちらが現在の姿。
DSCN2515.jpg
え?これのどこが世界一の煙突なの?
表紙の写真と全然、違うじゃん!!
等、思われる方いらっしゃると思います。
残念ながら日立の大煙突は平成5年に老朽化により倒壊し、上のカラー写真のとおり
”世界一”と呼ばれた高さのせいぜい3分の1程度しかありません。
手前に立つ太い煙突(通称:ダルマ煙突、または阿呆煙突)は変わらない姿ですね

写真は日立鉱山のあった大雄院付近で撮影したものですが、靄無しの晴天の日はシビックセンター屋上からも見ることができるんです。周囲の山々や住宅街と共に
DSCN2473.jpg
↑シビックセンター屋上より

ところで市は何故、世界一の高さの煙突なんか作ったのでしょう?
そのきっかけは、鉱山の採掘時につきものの鉱害問題でした。
鉱山での作業の際、工場から排出される煙は煙害となって周囲の山々を枯らし麓にある畑の農作物を荒らし、住民達を苦しめました。
住民達が苦情を訴える度に賠償金を払い続けなければなりませんでしたから、鉱山側も経済的に困難な状況になっていきました。
なんとかならないものかと試行錯誤を繰り返し、様々な方法が試されたものの失敗し、煙害を無くす事はできませんでした
DSCN2519.jpg
そんな中、久原房之助(くばらふさのすけ、日立鉱山を買い取った人)は「煙は上昇するものだから、高い煙突を作れば煙は高層気流に乗って拡散され、煙害も減るだろう・・・。」と考え、大胆にもかつてない高さの大煙突を作ることを思いつきました。日立大煙突誕生の瞬間です。
勿論、関係者の中で賛否両論が出ましたが観測実験等も行った上で久原氏の計画は進められ、大正3年の12月末に大煙突が完成、翌3月より使用開始。これが”世界一の日立大煙突”デビューの全貌です
DSCN2518.jpg
それから月日は経ち、日立鉱山閉山後もこの大煙突は”日立市のシンボル”として市民に愛され親しまれてきました。
平成5年に倒壊後もこうして、鉱山の歴史を秘めた”歴史の証人”として日立市を見守り続けているのですね
大煙突建設に先立って建設された”ダルマ煙突”と一緒に。
DSCN2516.jpg
手前の太い煙突が”ダルマ煙突”。大煙突よりこちらの方が先輩になります
当初はこの煙突で煙害を減らそうとしましたが結局、亜硫酸ガス等の有害物質を軽減することはできなかったそうです。役立たずとなってしまったこの煙突はいつしか、”阿呆煙突”などという不名誉な名前で呼ばれるようになってしまいました

鉱山の歴史、そして日立大煙突誕生の秘話はそのまま、日立の歴史でもあると同じ。
鉱山が発展し、日立製作所なる大企業も誕生しました!
「世界のHITACHI」のルーツ、ここにあり!かな?
DSCN2514.jpg
レトロで風情あるバス停
今も使われているのかな?


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 [ 2014/09/11 22:27 ]  日立市 | TB(0) | コメント(0)
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