なめがたふれあい感謝祭参加者の為に臨時駐車場として設置された高須崎公園駐車場。
公園は水郷筑波国定公園の指定を受けています


霞ケ浦湖畔に位置した、広い敷地の公園です。

晴天の日など、夕日を眺めたらおそらく素敵じゃないですか。。。


公園内にはトイレや自販機も設置。
ゲートボールを楽しむ熟年層の人達の向こうでは、フットサルを楽しむ若年層


この公園の少し先に”高須の一本杉”という天然記念物があったことを何気に思い出し、一目見てみようとそこまで歩いてみることにしました。
公園から大体、6~7分位歩いたでしょうか。。
・・・そろそろ、このあたりでは?
と思ったところに記念碑のようなものを見つけ、進んでいきました。

でも。。。
・・・え?


お目当てのものは、ここで間違いないようですが。。。
更地?!


何度見ても、松などありません。
残念ながら、一本松は案内板に掲載された画像で楽しむしかないようです


時は平安時代、源頼義・義家(八幡太郎)親子が陸奥平定に向かう途中、鹿島神宮に戦勝を祈願し船で霞ケ浦を渡りましたが暴風雨に遭い高須崎で止むのを待っていました。酋尼の長者から炊き出しの接待を受けた折に義家が歌を詠じたところ不思議にも暴風が止みその波間に一本の松が漂っていました。
義家がそれをとりあげて植え
「ちはやぶる 鹿島の神の授け松 なほ万代も君は栄えん」
という歌を奉ったと言われているそうです。
その後水戸二代藩主の徳川光圀公が領内視察の際、さらにその後九代藩主の徳川斉昭公が水軍訓練の際高須を訪れ一本松を褒め称える歌を詠んだそうです。
それがこちらの碑に

「高須崎 波にゆらるる一つ松 さぞや山路の恋しかるらん」(光圀)
「つたえ聞く 名にも高須の一つ松 波にこえぬる緑みすらし」(斉昭)私が最初に見つけた黒くて大きな碑も、同じ言葉が刻まれていました。
2人の藩主に讃えられた一本松はやがて昭和27年、茨城県の天然記念物に指定されました。しかし昭和51年、松くい虫の被害に遭い枯死してしまいました。昭和55年には文化財指定も解除されてしまったとのことです

その姿は、行方市の地域ポータルサイト
「なめがた日和」で観ることが出来ます。
→https://namegata.mypl.net/mp/history_namegata/?sid=34465初代一本松の実より跡地に2代目、3代目が植樹されましたがいづれも松くい虫にやられてしまい、3代目は昨年平成28年に伐採されてしまいました。
こうして現在は、「茨城百景」の碑と先ほどの案内板、そして光圀公と斉昭公が読んだ歌碑があるのみです


憎き松くい虫め

初代一本松の遺伝子を受け継ぐ松が現在、御近所に住む方の手により大切に手入れされているそうです。その中のいづれかが4代目としてこの更地に植樹される予定だということを、ブックマークしておいた先月の茨城新聞ニュース(モバイル版)で知りました。(偶然、ブックマークしておいたものがこのようなところで役に立つとは。。。奇遇だ

)
市の方でも、「高須の一本松再生検討委員会」が結成されたとか。4代目植樹に向け、いよいよ本格的に動き出しているようです。
4代目が初代のように見事な一本松へと成長するには相当の年数が必要となります。その頃、私たちはもうこの世に存在していない可能性が極めて高いでしょう

私たちは観ることが出来ませんが、かつて存在した行方市の天然記念物にして文化遺産=「高須の一本杉」を後世の人たちへと繋げていこうという地域の人たちの想い、強い郷土愛を感じました

今日も御閲覧ありがとうございました!
にほんブログ村
スポンサーサイト