FC2ブログ

いざ!赤水ウォーク<3>

松岡城址、松岡小学校(就将館)を出発し、いよいよ赤水の誕生地やお墓等を訪ねます。
つまり、いよいよ赤水という人物の核心に触れるわけでして。
IMG_20181130_0001_20181205211918a1b.jpg
赤水の師・鈴木玄淳の墓や鹿島神社(旧赤浜村の村社)を経由し、赤水の誕生地→お墓→旧宅を訪ね南中郷駅でゴールイン。
玄淳の墓のあたりまではカーブが続く勾配のある道路で、結構体力を要しますがやはり一緒に歩く人が大勢いると不思議なことにあまり苦になりません。
DSCN2461.jpg

DSCN2462_20181205211914b96.jpg
この斜面を上がったところに玄淳のお墓があります。私は上りませんでしたが、2,3人ほど列を離れ訪れた人もいたようでした。

長久保赤水は1717年(享保2年)、赤浜村で生まれました。幼い頃母・弟そして父を次々に亡くしましたが、父の後妻である継母に優しく温かく育てられました。赤水が14歳になると、彼に勉強をさせる為継母は鈴木玄淳の塾に通わせたそうです。
DSCN2464_20181205211915cbb.jpg
鹿島神社

その後、水戸藩の学者・名越南渓に入門し儒学・歴史・文学・漢詩等を勉強し、儒学を大成すると今度は天文学や地理学を学んだそうです。日本地図を書き始めたのもこの頃からだったようです。
赤水の作成した日本地図は初版が1779年(安永8年)の発行、その数十年後に伊能忠敬の日本地図が作成されましたが江戸時代当初は、赤水の地図の方が庶民にとっては身近なものでした。
伊能忠敬の地図は、この頃は国家機密文書扱いのようなものだったらしく庶民の目に触れることがなかったからだそうです。
吉田松陰が東北を旅した際に使用した地図も、赤水が作成したものでした。
DSCN2467_2018120521191769f.jpg
「長久保赤水誕生地」の碑。
題字は故梶山清六氏。管理しているのは郷土史家の長久保源蔵氏。貴重なお話と資料もたくさん見せていただきました

吉田松陰が歩いたと言われる”奥州道”を歩き、「赤浜」の交差点がある国道6号を横断すると、長久保赤水のお墓があります。
DSCN2469_2018120521495638c.jpg
お墓はこの石塔の奥になります

DSCN2470_2018120521495812c.jpg

こちらが赤水のお墓。
DSCN2474_20181205215000e9d.jpg
彼の偉業は日本地図を作製しただけではありません。
水戸藩主・6代徳川治保の家庭教師(侍講)として学問を教えていたことは既に書かせていただいていますが、農家出身だった赤水は、農民の苦しい生活の実情を書いた著書「農民疾苦(のうみんしっく)」を書き残しています。
自分の好きな学問に打ち込むばかりでなく、自分が生まれ育った農家の生活も決しておろそかにしたわけでなく、ちゃんと注目していたのですね
儒学者として、地理学者として、そして農政学者としての業績を残しここ・郷里の赤浜村にて85歳で永眠しています。

赤水の墓の脇に並ぶのが父、母(生母)そして継母の墓です。
DSCN2472_20181205214959b46.jpg
継母(写真、一番右のお墓)の存在がなかったら、学者・長久保赤水は誕生しなかったかもしれない。。。

お墓を後にし、最後に訪ねたのは赤水旧宅。
立派な門と塀が残っています。
DSCN2475_20181205215002189.jpg
時間の都合で、急ぎ足で去る格好となりました^◆^;

ついに終点:南中郷駅に到着。
道中、列車の発車時刻が気になる方がそわそわし始めていましたがなんとかゴール。
DSCN2477_20181205221147d43.jpg
高萩行き列車が到着するまで50分位、待ち時間がありましたのでエキマエカフェで時間潰していたら丁度良い時刻に列車が入ってきました。
ここが本当のゴール。
DSCN2490_2018120522084149e.jpg
これにて、「赤水ウォーク2018」は終了です。
お疲れさまでした~!

DSCN2488_20181205220840c28.jpg
教科書に載らない偉人:長久保赤水の業績は高萩市が誇る偉人です。
江戸時代に庶民に親しまれた赤水の日本地図。この地図には今、国土問題となっている”あの島”の名も表記されています。
赤水地図をきちんと公表し、明確にしておいたならあの騒ぎは回避できたでしょうか。。。

多彩であり、いろいろな方面で活躍してきた人で、教科書に掲載されてもおかしくないのになぜこれまでスルーされてきたのか。
”文部科学省、何してんだ?”と言いたいです(笑)

教科書に載せて世界へ広げよう!という動きが、市で始まっています。
大河ドラマの放映化、そして教科書掲載・・・叶ってくれることを願いたいと思います。

本日もご訪問・ご閲覧誠にありがとうございました!
スポンサーサイト
 [ 2018/12/05 22:40 ]  高萩市 | TB(0) | CM(-)

いざ!赤水ウォーク<2>

ちょっと間が空きましたが「赤水ウォーク」記事を再開したいと思います
高萩駅を後にして30分は経過した頃だったでしょうか。
関根橋を渡り、武家屋敷通りに入って行きました。
DSCN2438_20181130231538144.jpg
この橋の向こうには武家屋敷を思わせる風格の家と塀が立ち並びます(この区間は撮影禁止!)
ここを通った突き当たりに建つのが松岡小学校。
DSCN2441_20181204224150e1d.jpg
大きな杉(?)の木がすぐに目に留まります
学校の門構えと塀の造りが”城下”を想わせます。
DSCN2442_20181204224152bd4.jpg

DSCN2444_201812042241541ff.jpg
学校内に「就将館」という資料室があり、長久保赤水をはじめ松岡藩ゆかりの人物や松岡城(竜子城)に関する歴史資料(その大半が顕彰会や小学生たちによる手作りの資料だというからびっくり
地域の人達が、自分達が住んでるところにゆかりのある人物に興味を持ち、その偉業を讃えていられるのがよくわかります。
地元の小学校に通う小学生に対する、学校の先生方のそうした指導も素晴らしいと感じました

やるねえ、高萩
地域おこし、とはまずそういったところからスタートするのが本来のスタイルでしょうか。
DSCN2445_20181204224156b00.jpg
松岡城の歴史と「松岡七賢人」(この中に長久保赤水も含まれています)を紹介する案内板と石碑。
小学校脇の松岡城址アプローチ広場にて。

さて、時間をちょっと戻しまして。
松岡小学校就将館を訪れる1時間前、我々はこのアプローチ広場で昼食をとることになりました。
DSCN2443.jpg
↑トイレです。
待ちに待った、おにぎりタイム
いただきま~す
DSCN2447_20181204230139560.jpg

食後の散歩がてら、公園内を少し散策してみることに。
DSCN2448_201812042301413a8.jpg
「松岡八景」と呼ばれた、”竜子山嶺晴嵐旦”と書かれた札が立っていました。
おそらく、竜子山の山頂を差すのでしょうが、かつて松岡八景と呼ばれたであろう場所も、現在は立ち入ることができません。

アプローチ広場の背後は雑木林の山となっていて、そこが”竜子城”だった場所のようです。
DSCN2449_2018120423014269a.jpg
応永年間の1420年に、高萩の地頭だった大塚氏による居城で1606年(慶長11年)に秋田県の角館から常陸の国に国替えとなった戸沢政盛が、現在の松岡小学校敷地まで城の敷地を拡大し「竜子城」から「松岡城」と改称したとのことです
DSCN2453_20181204230145067.jpg
とりあえず、入れるところまではいってみます。
うかつに奥まで入ったら遭難しそう


その後、戸沢氏は出羽の国新庄へ国替えとなり後に領主となったのが水戸藩家老の中山氏でした。
こうして松岡藩は水戸藩領に編入されることになったのです。
DSCN2454_201812042315518e2.jpg

立ち入ることができる箇所はほんのわずか。引き返そうとした途中、鳥居と神社があるのを見つけました。
DSCN2450_201812042301431aa.jpg
丹生(たんしょう)神社という名だそうです。
この場所にあるからにはきっと、松岡藩の氏神様か何かかな?と思い、帰宅後に確認したところ中山氏が領主だった時代の氏神様だったそうです。
祀神は丹生都比女命(にうつひめのみこと)。
この神様を祀る社殿です。
DSCN2451_20181204231548c3a.jpg
奥深くひっそりと佇んでいる社殿、うまく表現できない神秘的なオーラを感じました。
この日は無人でしたが毎年、元旦と4月中旬には「棒ささら」の舞がお披露目されてるそうです
とりあえず今回は軽くご挨拶

かつてお城があった場所も、現在は無数の竹と木々に覆われ森と化しています。
ここを整備して観光名所にするお話も出ていたようですが、大人の事情がありなかなか難しいようで
でも無理にお金をかけ環境を破壊するよりも、こうして自然を残し
「ここにお城があったのか」と懐古してみる手もあるかもしれません。
DSCN2456_20181204233118d09.jpg

今年の紅葉はいまいちだった、と言いますが。。。
やっぱりこんな感じ

DSCN2458.jpg

休憩時間が終わりました。
再び歩行開始です
さあ、いよいよ長久保赤水の生誕の地そしてお墓を訪ねます。

というわけで、今回はここまで

本日もご訪問・ご閲覧誠にありがとうございました!
 [ 2018/12/04 23:43 ]  高萩市 | TB(0) | CM(-)

いざ!赤水ウォーク<1>

あらためて、「全国赤水ウォーク」のお話を書かせていただきたいと思います。
歩いたコースはざっと、こんな感じです
IMG_20181130_0001.jpg
かなり縮小している為、大変お見苦しくて申し訳ありません
まず目指すのは、高萩市の歴史を語るには絶対に外せない松岡城の城址。

「常陸の小京都・たつごの里と赤水ゆかりの地を訪ねる」というサブタイトルのもとにスタートしました。
つまり、ただ単に長久保赤水に関するスポットのみを訪ねるのではなく”小京都・高萩”を満喫し、高萩の良さを知ろうという趣旨もあるウォーキングツアーなのです
高萩駅前の赤水像に”行ってきます!”と心の中で挨拶し、あらためてスタート!
DSCN2424_201811302302241fb.jpg
※”書籍等に掲載されてる肖像画の顔と違うじゃねーか!”と、つっこまないであげてください

これから約3時間の歩行時間、頑張って完歩するぞ!
高萩駅を後にし、北へ向かって進みます。高萩駅からどれほど時間が経過したでしょうか。
とある東屋のところで一旦、ストップ。
DSCN2429_2018113023022548c.jpg

そこには、「北宿並木一本松跡」と書かれた札とガラスケースに入った一本の切り株がありました。
DSCN2432.jpg
1604年に江戸幕府は諸国に対して五街道などへの一里塚の設置と松並木の植栽を命じ、同時に宿場の設置等も推進しました。
この一本松も当時の岩木街道(おそらく現在の陸前浜街道)の松並木として植えられたものだと言われているそうです。
樹高16m・幹回り2.1mにおよぶこの松は街道に残る最後の松と言われ、市の文化財に指定されましたが平成21年夏にマツノザイセンチュウの被害に遭い枯死してしまい、惜しまれつつ翌年22年4月に伐採されたということです
それがコレ↓
DSCN2431.jpg
たとえ実物は朽ちても、街道だった時代に存在していた”貴重な証拠資料”としてせめてその一部だけでもという思いが感じられます。おそらく地元の方なら、在りし日の一本松の姿を見ていたに違いありません。

DSCN2433_201811302315333b0.jpg
剥製のアオバヅクと共に、今はただひっそりと。。。

それからさらに歩き、”たつご通り”と呼ばれる道に入りました。
城下町だった頃の雰囲気をなんとなく残す、静かな界隈です。
暫く歩くと、武家屋敷を思わせる塀。
DSCN2434_2018113023153307b.jpg
市の指定文化財・高橋家の門と塀。
松岡城の最東の位置にお屋敷があったそうです。現在、残っているのは門と塀のみ。
DSCN2435_2018113023153500e.jpg

勿論、中には入れません。
DSCN2437_201811302315365cb.jpg

のんびり歩いていると、何気にこういった歴史的遺構を発見することがよくあります。
こういったものを見つけることが出来るのも、徒歩だからこそ可能なこと

間もなく関根橋というところにやってきました。
この橋を渡った向こうが、お屋敷通り。そこを通れば松岡城址はすぐそこ。
DSCN2438_20181130231538144.jpg
さあ、松岡城(城址)へ!
続きます。

<本日のおまけ>
DSCN2439.jpg
関根橋の下、川の所にアオサギが1羽戯れているのをボランティアスタッフの方に教えていただきました。
丁度、飛んで行くところであいにくはっきりは撮れませんでしたが珍しいものを見つけたということで満足感(笑)
教えてくださったスタッフさん、ありがとうございました

本日もご訪問・ご閲覧誠にありがとうございました!
 [ 2018/11/30 23:43 ]  高萩市 | TB(0) | CM(-)

長久保赤水の像~高萩駅

いきなりですが質問です。最初に日本地図を作ったのは誰でしょう?
皆さんでしたら、誰の名を答えますか?
多くの方がおそらく、小中学校の歴史の教科書に掲載されている伊能忠敬の名を挙げるのではないでしょうか

伊能忠敬が最初の日本地図と言われる「大日本沿海與地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」を完成させるおよそ40年前に、初めて緯線と方角線の入った日本地図を作成し発行させた人物がいました。
その人物の名は、長久保赤水
DSCN2421_20181129212300bb5.jpg

JR高萩駅前の長久保赤水(1717-1801)像
DSCN2423_20181129212303324.jpg
儒学者であり、地理学者でもありました。農家の生まれですが幼い頃から学問が好きで、14歳の時に医者で漢学者だった鈴木玄淳の私塾で学び、その後水戸藩の学者:名越南渓に入門して儒学や歴史、漢詩等を学びました。
61歳の時には水戸藩主の徳川治保の侍講(じこう、いわば家庭教師のようなもの)に選ばれ江戸小石川の藩邸に住んだそうです。
1779年には緯線・方角線の入った日本地図の初版を発行しています。
地図の原図なるものを描いたと言われているのが1775年、小石川藩邸に呼ばれたのは1777年、その2年後に地図が完成したことになります。
DSCN2422_201811292123024ee.jpg

治保公に勉強を教えている合間、こんな地図を描いてたのですね
DSCN2488_2018112921334259d.jpg
伊能忠敬の場合は、自らの足で日本全国を旅し測量しながら作成していましたが赤水の場合はあまり旅をしなかったようです。書物や実際に旅をした人からの情報を得てそれを自分の頭でまとめ、紙面に表していたそうです。
現代のようにメディアが世に溢れていた時代ではありません。TVもインターネットもなかったあの時代に、伝え聞いた話や書物を頼りに正確に緯度や方角を図り、地名まで細かく記された地図を、それも手書きで作りあげてしまうなんてただ、驚きの言葉しか出ません
DSCN2425_20181129215822a1a.jpg

今、地元高萩市では「赤水を教科書に載せて世界へ広げよう!」「是非、大河ドラマ実現を!」という声が上がっています。
顕彰会を中心に赤水の研究や宣伝活動を行われ、小学校でも赤水について授業でも取り上げられ子供達も自分達で調べた結果を手作りの新聞で残したり、とかなり研究熱心
1510151679779-10355629_201811292122585f7.jpg
関連記事が掲載された新聞の切り抜きを資料としていただきました。

先日11月25日(日)に開催された「赤水ウォーク」は、赤水の生涯にスポットを当てゆかりの地を歩こうという企画。
私も参加してまいりました
DSC_1070_20181129212259e98.jpg
高萩市役所から出発し、歴史民俗資料館や松岡城址、誕生地を巡りお墓や旧宅を廻って隣の町・北茨城市のJR南中郷駅まで歩くコースです。その一部のルートには吉田松陰が東北に向かい際に歩いたという道も含まれていました。
なお、銅像のそばにある地図は歴史民俗資料館に展示されていますので機会ありましたらご覧になられてみてください

では、赤水ウォークへ出発
続きは次回で。
DSCN2420_20181129213345a69.jpg
イルミネーション準備中の高萩駅前。
12/1(土)から点灯が始まります
(~翌年1/11 日没~23:00まで)
余談でした!


本日もご訪問・ご閲覧誠にありがとうございました!
 [ 2018/11/29 22:19 ]  高萩市 | TB(0) | CM(-)

安良川八幡宮の爺杉

大盛況の高萩市産業祭会場からちょっと抜け出しまして

市民体育館から坂道を歩くこと約10分。高台にある安良川八幡宮にやってまいりました
DSCN6665.jpg
本堂前周辺は家族連れの団体が多く集まり、着物を着た可愛らしい子供の姿も見かけました。
七五三の祈願に訪れたようです

この八幡宮、かなり歴史が古いようです
DSCN6668.jpg
京都の石清水八幡宮の分霊を勧請した御宮ですがそれが寛和元年(985年)と結構、昔
当時の多賀郡(たがのこおり)において最大の鎮守様であり祈願所だったようです。

本堂で祈願を済ませた家族がぞろぞろと外に出てきて帰り始めました。
では私も御挨拶を
DSCN6690_20171122211017c94.jpg

この八幡宮の境内に、国の天然記念物に指定されてる大杉=”安良川の爺杉”と呼ばれる杉の木があるはず。。。
本殿裏に見える杉の大木。
DSCN6669_201711222110164c2.jpg
もしやあれか・・・
と思い、裏に回ってみます。
DSCN6676_201711222149506ac.jpg
翳って見づらいかもしれませんが、画像左端の木が”爺杉”とおぼしき木。
間違いありませんでした。案内板が添えられています
DSCN6677_20171122214952aa6.jpg

「いかにも。ワシが安良川の爺杉じゃ」
と言わんばかりのタイミングで現れました。
DSCN6688.jpg
確かに、全体を見てみると凄いなあ。。。。
樹齢約1000年、高さ35m、幹回り約10mとのこと。
大正13年(1924年)に国の天然記念物に指定を受けています。
DSCN6679_201711222149551c2.jpg

千年の貫録・・・・老いても強いオーラを感じます。
DSCN6686.jpg
そんな爺杉でもさすがに老いと年月には勝てなかったのか、根元の部分が大きく空洞化してしまいこのまま放置しておけば倒壊し拝殿損壊や参拝者に危険をおよぼすことが予想されるため、伐採するか否かという協議となり結果、主幹上部を約10m切除することで解決、伐採は免れました
こうして今に至っています。
DSCN6678_20171122214954ea3.jpg
危険防止のため、ワイヤーで固定されています。
高萩市の宝、
DSCN6683_2017112221495622f.jpg
これまでずっと、八幡宮の歴史を見守ってきた安良川の爺杉。
八幡宮の守り神として、又高萩市の守り神としてこれからも末長くどうか長生きしてくだされ

【おまけ】
安良川八幡宮の隣に、國魂(くにたま)神社がありました。本堂で七五三祈願が行われている間、先にこちらを参拝したのですがこの神社に関する由来は不明。
DSCN6674.jpg
福島県いわき市に同名の神社があります。
http://www.kunitamajinja.com/index.html
決して断言は出来ませんが、もしかすると関係のある神社なのかもしれません
その國魂神社の鳥居前に、二期咲桜(?)が咲いてるのを発見し撮影してみました。
DSCN6672.jpg

DSCN6673_20171122223749363.jpg
冬、来たりなば春は遠からじ・・・
そんな言葉が一番、ふさわしい光景です


安良川八幡宮

今日もご閲覧ありがとうございました!
 
にほんブログ村
 [ 2017/11/22 22:49 ]  高萩市 | TB(0) | コメント(0)
管理人あいさつ

竹千代

Author:竹千代
魅力度最下位、それが魅力!

※暫くの間、毎週月・水曜日は定休日とさせていただき記事の更新をお休みさせていただいております(定休日以外に臨時休業となる場合もあり)

カレンダー
04 | 2019/05 | 06
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
おかげさまで(^^)
見たいもの、なあに?
QRコード
QRコード
バックナンバー